最近何かと話題のこの本。

読んだとか、読まないとか、出版は悪だとか、

被害者の事考えろとか、思ったより更生してるとか、してないとか。

色んな意見がネットで飛んでますがどっちにしろ、いい宣伝にはなってますね。

今の日本では出版は自由だし、書く書かないは本人の意思です。

なので個人的な意見を言えば、「本」に関しては読んでその感想を書く位しか、

発信する価値は無いと思うんですけど。

感想や評価は、それを目にした人の生き方や理念に影響を与えるかも知れない。

でも出版云々、読まない云々なんて、それ書いたところで何か変わるのかな?

社会現象になれば出版中止位には追い込めるんだろうけど。

それで満足するなら、追い込んだ人達はよほど自分はまともで正しいとでも思ってるんでしょうか。

 

ぼくはまだ本は読んでませんが、情報発信してる人間として読んでみようと思ってます。

今現在彼は名前も出生も隠していて、あなたのすぐ隣に居るかもしれない訳です。

当時の精神状態のままかもしれないし、そうじゃ無いかもしれない。

印税が欲しくて、自己表現したくて書いたのかもしれないし、そうじゃ無いかもしれない。

そんな事は本人以外誰もわからないのに、そこを議論したところで不安は消えない。

現実として彼は当時病気と判断され、

今は更生したとして釈放されて、

その辺で暮らしてるという事実がある訳ですから。

怖いじゃないですか。普通に。

僕は嫌ですよ。娘が3歳ですけど、二軒隣の人が彼かもしれないと思ったら、

怖くてひとりで遊ばせられない。外に出せないですよ。

でもそんな事は現実的に出来ないし、もうすぐ勝手に遊びに行くだろうし。

かと言ってヤツを再逮捕しろ!と、叫んだところで無駄。

ならば、

そいつがどんな奴で、どんな事を考え犯行に及び、今はどう思ってるのか?

彼をずっと間近で見てきた判事は、どう彼を捉えてるのか?

それが書いてあるなら、とりあえず知っておきたい。

恐怖を拭い去るための単なる誤魔化しとしてでも。

子供の頃、母親に言われました。

「そんな危険なもの触っちゃダメよ!」

でも触りたいんですよ、本当に危険なのかどうか。

「不良と付き合っちゃダメ!」

しゃべって、遊んでみないとわからないですよね?

ソイツが本当にヤバいのかどうかなんて。

 

恐怖なんてのは、何だかわからないから怖いのであって、

知って、見て、触るから、対処法を考えるわけです。

それは、モノ、事象、人間に対しても同じだと思ってます。

中々無いですよ。

今もその辺で普通に生活してる、

元精神異常の児童殺害犯の手記なんて。

ぼくにとって「知っておく事」は、人生、生き方にとても重要な意味があります。

それは自分が無知で、他人の意見に流されやすく、間違いを起こすかもしれない奴だとわかってるから。

自分も、自分の子供も、彼のようにならない絶対的な理由も根拠も無いのです。

そうならない為にはそうなった奴の事を知らないと、対処の仕方がわからないんですよ、バカだから。

自分に限って、うちの子に限って、あんな親切な人に限ってって、よくテレビで聞くじゃないですか。

でもホントは誰も自分を、子供を、身近な人を理解なんかしてないし、知ろうともしてない。

知った気になって「そんなはずない、ある訳ない」って言うだけで。

それこそ、何の理由も根拠も無い単なる「思い込み」なのに。

めでたくて、無責任で、無知で、危機感ゼロ。

そんな奴には成りたくないと思ってます。

被害者の気持ちなんて、被害者にならなきゃ絶対理解できない。

少なくともぼくには理解するなんておこがましい事はできない。

ならば、こういう本が世の中に出回り、14歳のモンスターが今30過ぎに成長し、

隣に居るかもしれない今の現実を見て、何が出来るかを真剣に考えたい。

 

 

 

「絶歌」が今、この世に在る意味

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