『スイミングスクールに通う水泳が達者な子供でも貯水池に落ちて溺れる。何故なら服を着て泳ぐ事を教わって無いから』

今度のセミナーで何をやるかリサーチしてたら、

こんな記事を見かけて思わず背筋が凍っちゃいました。

 

【教える側と教わる側】

学校の先生と生徒

上司と部下

セミナー講師と参加者

そして、

親と子供

そこには教える側と教わる側の関係が成り立ってますよね。

そして世の中は、ほとんどこの教える側と教わる側の立場にある人で構成されてるわけです。

この関係性から生まれるものは、

 

「成長」

 

教わる側は、

自分の知らなかった知識や、スキルや、思考を学び成長し、

教える側も、

アウトプットという形で伝える方法、伝わる事、伝わらない事を学び成長します。

本来なら、

この様に「プラス」しか生まれないはずなんですよね。

ところが、

この教える、教わるの関係を作る上で、ちゃんと考えないとプラスばかりでも無いらしいぞ?

と思ったので、今書き殴ってます。

 

【教えるの表裏】

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例えば、

学校の先生と生徒。

先生は勉強を教える、生徒はそれによって学力を付け、社会の一員として世の中に貢献していく。

ところが、

勉強は出来て偏差値の高い大学には入れるけど、社会に適応できず、部屋に引きこもって何もしない人がいる。

何故か?

記憶する事は教えてもらっても、それを活かす方法を学んで無いからかもしれない。

 

会社の上司と部下の場合。

上司は仕事を教え、部下は仕事のやり方を学んで、会社に利益を上げ給料を貰い、会社も自分も豊かになっていく。

ところが、

人間関係、ストレスなどで鬱になって、仕事が出来なくなる人もいる。

何故か?

結果を出す為のスキルは教えてもらっても、それで成果が出なかった時の立ち直り方を学んで無いからかもしれない。

 

親と子供の場合。

躾をして、愛情を注いで、絆を深めていく。子供は人として幸せな人生を歩んでいく。

ところが、

受験に失敗し、会社でも人間関係が上手くいかず、結婚して子供が出来ても愛情を感じない人もいる。

何故か?

人生が上手くいきそうな事を教えてもらっても、人生の楽しみ方を学んで無いからなのかもしれない。

 

教える事の本質には、

「表と裏がある」

それともそれはまた別の学びなのか?

 

【最中だと知る】

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教える人⇨コレをやりなさい

教わる人⇨はい、わかりました!

 

普通は、というか僕も含めてですが、

何かを教わる時の基本スタイルってコレですよね。

そこには何の懐疑的要素も無いです。

何故なら「信頼」があるから。

まあ、学校の先生を信頼してたかと言われれば、して無いですが(笑)

そこで教えてる授業の内容に関しては信頼してる訳ですよ。

教える側も、

立場が上(その場だけなのに)という、立ち位置だけで、自分の言ってる事は「絶対」みたいな感じで思ってるはずです。

というか、それくらいの自信が無いと教えるなんてしちゃダメだと思ってますけど。

信頼してるが故に、与えられたものを疑わない。

自信がある故に、全知全能の如く教える。

だと、やっぱりおかしな事になるんじゃないかなと。

 

「成長」を間に挟むのがこの関係の定義だとしたら、お互いにまだ「その最中」だという事を認識しないと、

教える事教わる事の、裏側の存在に気が付かない。

だから悲劇がそこら中で起こるのかなと。

 

【限界と想像を知る】

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じゃあ、その悲劇を回避するにはどうすればいいの?

最初の「水泳が得意でも溺れる」という例を見ると、

教える側は水泳を教える訳で。

それは、

「体力の向上」「泳ぐというスキルを身に付ける」「選手として育てる」

なんかが教える目的だったりしますよね。

そこに「服を着たまま泳げる泳法」は入って無い。

そんな泳法があるかどうかも知りませんが(笑)

でも、教える側は知ってるんです。

服着て泳ぐのがいかに大変で、自由が効かなくて、溺れる可能性がある事を。

僕もやった事は無いけど、容易に想像出来ます。

でも、子供達にはわからない。

なんなら泳げる自信があるから、不用意に貯水池に近づくのかも知れない。

ここを想像出来るかだと思うんですよ。

泳ぐ事を覚えることで得られるプラスと、その先のマイナス。

両方教える事で悲劇は減るかも知れない。

でも、

「服着て泳ぐ方法」

なんて事を教えるのも現実的では無いですよね。

ならば、

一度だけ子どもの前で服を着て泳ぐ姿を見せてやればいいと思うんですよ。コレはマジで。

これなら子どもでも理解出来る。

あの水泳の先生でさえ、服を着てたらあんなに泳ぐのが下手くそになるんだって。

裸で泳ぐのとは全然違うんだって、感じる事が出来る。

(実際スイミングスクール等で着衣でプールに入る経験をさせるところもあります)

 

例えわかってても、表と裏を全部を教える事には限界があります。

でも、想像させる事で教えられる事は無限にあると思うんですよ。

それは教える側の「信頼してくれてる相手」への思いやりじゃないかなと。ちょっとクサイけど。

 

【想像力が試される】

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これは、教わる側にもあると思う。

子供はまだ経験値も少なく、想像するだけの情報が圧倒的に少ない。

だから、教える大人が想像してやる事で補う必要があると思いますが、

例えば会社で上司から何か教わるとか、セミナーで何か教わるとか、大人が大人に教わる場合。

教わる側も、この表と裏を想像して教わるようにしないと悲劇が起こります。

 

教わる⇨受け手⇨受け身

 

だと、目の前の情報が全てだと錯覚するし、「信頼」があればある程、目の前の上司、講師を「盲目に正当化」してしまいがちです。

すると、言われた事をやったのに(実際にはやってなくても)結果が出ないと、あの上司は使えない、あの講師は詐欺だ。

みたいな悲劇?になる事があります。

これは何も「疑え」ということではなくて、さっきも言った「成長の最中」だと知ること。

相手がドラゴンボールのセルではなく人間なら「完全体」になる事は永遠に無くて、不完全な状態で発信しているけど現時点で自分にとっては学びになる人。

そういう意識で学ぶべきだと思うんですよ。

そこで初めて「自分ならこうする」という考え方が生まれ、質問が生まれ、相手とのコミュニケーションが生まれる。

そこでまた、教える側もフィードバックを貰えるから成長する。

で、その成長した上司や講師からまた、学べる。

そんな負のスパイラルならぬ、勝のスパイラルが生まれ、

世界は平和になる!

まあ、そんな事です(笑)

 

教える側としては、

相手は理解してないかも知れない、やらないかも知れない、結果が出ないかも知れない、逆恨みされるかも知れない、

色んな想像した上で、

「相手が一番成長するには、どうすればいいか」

だけ考えればいいんじゃないかと。

そして教える時は「完全体」になったつもりの、悟空のスタンスで!

…これ、いらなかったかな。

 

【無条件に嬉しい】

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何十年も生きてると、何故か教える立場になってしまう人も居ると思うんですよ。

特に会社なんかだと、年齢という数字が上がるだけで、やりたくもないのに「責任者」なんて立場にさせられたり(笑)

すると、部下に仕事を覚えてもらうという「教える側」になるんです。

このパターンで教える側になり、やりたくもないのに、

「教える」

を実行するから、表と裏も、想像も、成長も無い。

だから悲劇が起こりやすいんです会社って(笑)

 

ところが、

意識が高い部下が紛れ込んでると、その人は、勝手に表と裏を感じ取り、想像し、勝手に成長します。

そんな成長した部下を見て上司は、

「俺の部下が俺の指導でこんなに成長した!」

と、無条件に嬉しくなる。

この喜びは、主体性を持って「教える」を実行するセミナー講師でも同じで、

教え子の成長は無条件に嬉しい。

僕も、水泳の先生、会社での教育、せどりのコンサルティング、また、子供を持つ親として、色んな教える事をしてきましたが、

相手の成長は、無条件に嬉しくて堪らないです。

それは、例えば教えた人が僕を追い抜いて、僕の事なんか忘れていったとしても、自分の中で自信と満足が残る訳です。

これは、幸せな事ですよ。

教える事は「他利」では無く、自分の利、つまり「財産」だと思ってます。

世の中の教えると教わるは、財産になるという意味でも、全く対等です。

 

今、何か人に教える事をやってる人。

 

今、誰かから何か学ぼうとしてる人。

 

相手を受け手と思わず、

 

自分は受け手だと思わず、

 

お互いの「成長の過程」を楽しんでみては、いかがでしょうか。

 

 

 

先生!これさえやれば絶対大丈夫ですか?

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