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「このままだと娘と遊べる時間が人生から無くなる」

それが、サラリーマンを辞めた理由です。

初めまして。MASATOこと宇野成人です。

2013年、4月

「せどり」という転売ビジネスに出会って、

6ヵ月後月商70万達成。

そのまま会社を辞めて独立。

その後、情報発信始め、STORYS.JPに投稿した記事が、

「読んでよかったランキング1位」に。

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文章が自分の未来を変える可能性があることを確信。

2014年3月、メルマガによる無料ライティング講座

「右脳派ライティングアーティストの世界」をスタート。

当時facebook400人足らずの友達数で、初日で60人が登録。

現在は、セミナー講師、コンサルタント、個人メディアプロデュース、自身のファンクラブ運営

など色々やっております。

「自分のお小遣いくらい自分で稼いでよ」

という、嫁のたったひと言から始まった43歳からの独立。

4万円の小遣い欲しさに半信半疑で始めた、ネットを使った個人ビジネス。

主に同年代の「40代からの自由化」を目的に活動中です。

人に歴史あり

ということで、プチMASATOヒストリーです。

お楽しみください。

10歳 「君はもう無理だよ」と宣告された


あれ?

折れるはずのないその鉄の棒は、

ゆっくり倒れる様に折れた。

地上5メートルの高さから、

スローモーションのように落ちていくのを感じながら、

 

10歳のぼくは地面に叩きつけられました。

 

小学3年生の時の出来事です。

子供の世界は友達が真似出来ないような、

危険なことをすれば人気者になれます。

とんでもない高いところによじ登るとか、

そこから飛び降りるとか、超高速でブランコしながら跳ぶとか。

人気者はみんなやってましたよね?笑

 

その時も僕は学校の遊具に登り、

「これ以上登ってはいけません!」

と言わんばかりにくっついている、柵の上の、

そのまた上にそびえてる棒にしがみつき、

キングコングのように勢いよく揺らして、

その勇気を誇示していました。

 

どこにでもいる、「目立ちたがりのやんちゃな子供」です。

 

棒が折れて落ちた場所がたまたま「砂場」だったので、

右足の踵の骨が4つに砕ける複雑骨折だけで済みました。

棒が折れた方向が逆ならば落下地点は焼却炉だったので

頭から落ちてれば、

死んでいたかもしれません。

 

 

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ちなみにこんな感じの遊具です。

 

 

しかし病院からは

「多分、二度と走ることは出来ないでしょう」

と告げられました。

 

ショックでした。

もう危険なことして友達の気を引くのは無理だよ。

と宣告されたようでした。

 

これには親も泣いてましたが、子供の回復力と、

 

絶対また走るんだ!という無垢な思い込みは、

奇跡を起こします。

 

なんと、幸い11歳の頃には体育の授業に参加出来るようにまで回復していました。

 

しかしながら、このバカ。

ギプスも取れてちょっと走れるようになったにもかかわらず、

今度はスキーで反対の足を骨折してしまうという、残念な小年期を送ります。

 

「また来たの?」と看護士さんに言われたことを今でもハッキリ覚えています。

おかげ様でこの頃の僕の写真は、

 

ほぼ車椅子の上か松葉杖をついてる姿。

 

少し残念なこの少年期の過ごし方が、

実は後の僕の生き方に少なからず影響を及ぼすことになります。

14歳 自己表現への目覚め


体を動かすことが唯一人から評価される対象だったのに、

動かせないとなると他の居場所を探さねばなりません。

 

この頃から僕は他人との差別化を極端に意識するようになりました。

 

1歳で髪型を気にするようになり、

14歳でお気に入りのコロンと洋服を買う為、

一人で一時間も電車に乗り、出掛けるようになりました。

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当時、わざわざ買いに行ったポーチュガル

 

16歳の時、バイクとギターが生活の一部になり、

そのうち部活も勉強も捨てて生活の全てになりました。世間でいうクソガキの出来上がりです。

 

将来はレーサーかギタリストになろうと本気で考えていましが、

多分また、周りの誰もやらないようなことをやれば人気者になれると思っていたに違いありません。

 

「やっぱり宇野くんは他の人と違うな」と、言われたい為に。

いい意味でも悪い意味でも、

 

とにかく人と違えば存在価値があると無意識に思ってました。

しかし、誰もやらないどころか、

その道の人達は僕なんかの何倍も何百倍も努力し、センスを磨き、

千載一遇のチャンスを狙っている。

そんな生半可な世界ではないことを知るのに、数秒と掛かりませんでした。

 

当然周りからも、親からも、親戚からも、

「いつまでそんな夢みたいなことやってるの?

という常套文句の雨あられ。

 

それでもそんな批判さえ僕には心地良かった気がします。バカです(笑)

僕は次々に、自分が他の誰かとは違う、

「何か目立てそうなもの」を探すという生き方を選ぶようになりました。

 

23歳 挫折を認めるということ


大学を卒業したあとは就職せず、あるビジネスに手を出しました。

当時流行り出したMLM。ネットワークビジネスというやつです。

 

始めた理由は、就職なんかダサい。人の下で命令されるなんて奴隷じゃん。

と本気で思っていたからです。

 

ビジネスのビの字も理解せず、

自己啓発とビジネスセミナーに金を使いまくり、

一年頑張って数万円も稼げませんでした。

 

「お前にはもう無理だよ」

 

心の中で自分にそう宣告されるのが怖くて、他に道が無いか逃げ回る人生。

中途半端で何も成し遂げられないクズ。

知ったかぶりを誤魔化す知識を身につけ、

さも出来てるように見せかける。

そんな下衆な自分を、この時期に嫌というほど確認出来ました。

25歳の頃です。

 

そんなハズはない!

何でみんなこれくらいの事が出来ないんだ!

僕が悪いのか?!

 

まさにノウハウのみを実行し、

結果だけを相手に求め、相手の理解力の無さを責め、

その内自分の作業量の少なさに嫌悪し、

「僕には価値が無いんだ」と思うようになりました。

僕は鬱状態の一歩手前で、あれほど嫌っていた「就職」という手段に助けられました。

27歳 奴隷


約半年くらいの間、何もせず実家で過ごしました。

今で言うニートですね。

今から約20年前でも居たんですよ、ニートって。

 

この頃、かなり病んでた時期でした。

 

何もしてないのに飯なんか食って僕は犯罪者だな。

こんな死んだほうがマシな生活してるのに風呂なんか入ってごめんなさい。

 

とか色々(笑)

こんな僕を見かねて、助けてくれたのは叔父でした。

 

「お前、こんな田舎に居るのが合わないんだろ。東京行くか?」

 

涙が出るほど嬉しかったことを覚えています。

なんか理解して受け入れてもらえた気がしたからです。

 

そして、とにかく「これからやる事ができた」という嬉しさが、心の底から沸いていました。

 

叔父に紹介された会社に就職する為、1ヶ月後には上京していました。

憧れの東京。

行くだけで未来が変わるかもしれないという淡い期待に、

現実は給料の半分が家賃に消え、日々の食事はコンビニ。

朝6時に起きて夜中の10時、11時に帰宅する毎日。

 

目的も信念もなく、

ましてや、やりたい事さえない人間を受け入れてくれるほど甘い街ではありませんでした。

 

それでも会社に行けば、与えられた仕事をこなすだけでお金が貰えました。

年に二回月収の2倍近いボーナスという謎のお金が貰えました。

サラリーマンとは何てありがたい職業なんだと本気で思いました。

奴隷でいいや。

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そもそも人様が作った会社の仕事を手伝わせてもらって、

自分の仕事で利益が出ようが出まいがお金が頂ける。

奴隷のように働くのは当然だろうと。

 

でも会社にいる人間はそうでもなかったようでした。

いかにサボり、いかに楽をして、いかに自分の責任にならないように動くか。

上司でさえそんな人もいました。

 

それでも同僚達と収入は変わらないし上司は僕より高い給料を貰う。

別にそこに不満はありませんでした。サラリーマンはそういうものだと知っていたから。

 

叔父への義理もあり、仕事を覚えることに全力を尽くしました。

自分は奴隷だと思って仕事をこなし、上司と付き合うことも仕事だと思えば苦でも何でもなかった。

そんな生ぬるい環境で上にいくのは容易でした。

数年である程度会社の利益を左右するポジションに付き、

ある程度、何のストレスもないサラリーマン生活を16年過ごしました。

35歳 報酬は人生で最高のパートナー


実はこの会社で手に入れた最高の報酬があります。

今の嫁です。

 

まだ精神状態が最悪のままで、

東京に出てきて遊びを覚えた僕は、破滅に向かいます。

 

ギャンブル、キャバクラ、買い物、

あらゆる欲を満たすものがすぐ目の前にあり、精神的リミッターがない。

あるのは経済的なリミッターだけで、

当時流行りだした消費者金融という簡単にお金を貸してくれるシステムが、

リミッターを外してくれました。

 

 

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その節は、お世話になりました。

 

気が付くと部屋の電気が止められるような生活になっていました。

それでも何とかなるだろうと狂っていた僕に、

 

何とかしないといけないよ!

 

と本気で考えてくれたのが今の嫁でした。

女の子と付き合う過程で、当時僕の中に結婚という二文字はありませんでした。

 

他人を受け入れるなんて、

今まで他人と差別化することしか考えてなかった人間には、

絶対ムリだと思っていましたから。

 

赤の他人と下手すりゃ一生過ごすなんて続く訳が無い。ないない。

 

付き合い出して2ヶ月目位の頃、ある日借金があることが彼女に知れます。

隠してるつもりはなかったので、

「大丈夫だよなんとかなるから」と軽くあしらいながら、

あーあ、別れようとか言われちゃうだろーなーとか考えてた僕は、

 

次の瞬間何が起ったのかわかりませんでした。

 

「なんとかなるって何?どうやってなんとかするの?

どう考えたってあんたの収入でどうにかなる金額じゃないでしょ!」

彼女は泣いてました。

 

ショックでした。

自分以外の人間に真剣になれる奴っているんだと初めて知りました。

 

その時、人生で初めて結婚したいと思いました。

それから約一年半、結婚前に彼女に財布を握られ・・・、いや握ってもらい、

お金の管理は全て任せ、一緒にビンボー倹約ケチケチ生活を共にしてくれました。

今でも彼女に出会ってなければ、自分の人生どうなってたかと思うと、ゾッとします。

ありがとう。感謝してます。マジで。

この章はノロケになってます。

43歳 必然からの起業


入社した当時は、ちょうど消費税が5%に変わる年でした。

そのおかげもあって、仕事は滅茶苦茶忙しく毎日くたくたでしたが、

収入はそれに見合うだけの額を頂けました。

こんなに貰っていいの?東京ってやっぱスゲーなーなんて思ったものです。

 

ところが年々売り上げは減少し、

それに伴い収入も毎年少しづつ、少しづつ減っていきます。

平成不況というやつです。

 

水の入ったヤカンに蛙を入れて火に掛け、

ゆっくり沸かしてやると、蛙は逃げ出さずに沸騰したお湯で死んでしまうそうです。

 

気付いた時には僕の月収は入社した年の2/3以下になっていました。

 

好きだった洋服を買うのを止め、

少しずつ集めたギターや機材も全て売り、

都内から郊外へ安い家賃のマンションに引越し、

それでも嫁と犬2匹との生活を楽しんでいました。

 

「楽しんでいた」のです。

 

貧乏で節約することも、夜になるとカエルの鳴き声が響くことも、

趣味をギターからビデオ観賞に変えるという生活も。

 

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写真はイメージです

 

これは僕の才能だと自負しています。

自分の生き方を卑下したことは、ニート時代を除き、一度もありません。

 

ひとことで言えば楽天的、真剣に人生を考えるということもしませんでした。

僕達に子供が生まれるまでは。

 

家族を守るためには、お金は必要で、時間も必要です。

よくドラマで金持ちだけど仕事が忙しくて家に帰ってこない父親という設定で、

愛が足りなくて離婚や浮気なんてストーリーがありますが、

まんざらフィクションでもないと思っています。

 

家族は繋がりを求めます。

繋がりを深めるのには時間が必要です。

ですが、その時間を作るには生活が出来ることが最低条件で、

最低条件を満たしてくれるのがお金です。

 

当たり前のことです。解ってるんですそんなこと。

しかし、勘違いするんです。だからお金稼がないとって。

 

繋がる時間が持てないのに、お金稼いだって意味が無いと思いませんか?

僕はそう考えてます。優先順位の一番を家族にしたいんです。

それはキレイごとでもなんでもなくて、

今の嫁に感謝してるから。子供を本気で愛してるからです。

 

それが解かって僕は起業しました。

朝6時に家を出て、夜の10時に帰ってくる生活では繋がりが保てなくなる。

子育てと家のことをほぼ嫁に任せっ切りになり、

子供の寝顔しか見れません。

 

嫁も働いてるので、子供が熱を出すと嫁が会社を休むことになります。

彼女は会社に気を使うのが嫌だと泣きました。

彼女も子供を一番に考えたいのに、

また会社を休まなきゃならないと思うと、熱を出した子供にイラっとすると。

そんな自分が嫌で嫌で仕方が無いと。

 

僕がやりたい事。やらないといけない事は、

「家にいて、尚且つ生活が出来て、軍資金のリスクが少ない自営の仕事を本気で探す」

ということでした。

 

こうして、約3ヶ月のリサーチと4ヶ月の副業としての実践で結果を出し、

独立することが出来ました。

 

嫁にはまだ働いてもらってます。しかし少し家事も手伝える時間が出来ました。

子供を保育園に迎えにいって、「お帰り!」と言えるのが嬉しくて仕方ありません。

いつ熱を出されても僕が病院に連れていけます。

 

まだまだ生活に余裕があるわけでは無いですが、

繋がりを保つことは出来そうです。

 

自分の人生で何を一番大事にしたいのか?

 

教えてくれたのは嫁と子供です。

昔20代の頃、僕はサラリーマンという仕事をバカにしていました。

しかし、サラリーマンという仕事に救われ、

大切なパートナーや子供に出会えました。とても感謝しています。

 

起業や脱サラを謳うブログでは、

社畜だとか、先が無いだとかバカにする記事をよく見かけますが、とんでもない。

働くという環境を提供してくれるシステムが会社で、

システムを継続していけるのはそこで働くサラリーマンがいるからです。

持ちつ持たれつなんですホントは。

 

只、自分の人生を本気で考えた時に、

サラリーマンという生き方が僕には合わなかっただけです。

 

脱サラなんて簡単に出来るもんじゃありません。

20代の若さがあるならまだしも、家族がいて住宅ローンもたんまりあって、

この不況です。

 

怖いに決まってます。

 

しかし、今のこの時代だからこその方法はあります。

僕はその方法をたまたま見つけた。ラッキーです。

 

ところがほとんどの同世代の人は知らない。

知ってるか、知らないかで人生が決まるとしたらとても怖い事ですが、

情報化社会とはそういうことです。

これからますます世の中が二極化する中で、

唯一の武器は知識と情報です。

 

僕は武器を手に入れ自由になりました。

術を知っても戦えなければ、知らないのと同じです。

 

新しい武器と、戦い方。

この二つを、僕は同年代に向けて発信していきたいと思っています。

 

こんなクソ長い自己紹介を、最後まで読んでいただきありがとうございました。

どこか一つでも、共感してもらえるところがあれば幸いです。

 


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